引っかかった若者を本気で救いたければ、「加害者になり損なった被害者」と報道してほしい
今朝のNHKのニュースで、消費者金融のカードをつくるだけでおカネ(たとえば5万円)がもらえるというアルバイトをした若者が、結局は多額の借金を負わされてしまうという話を特集していました。
勧誘した人間がそのカードで限度一杯の借金をして、そのおカネを持って逃げてしまうのですが、しばらくは返済をしているため、問題がすぐには発覚せず、おいしいアルバイトだと思った若者が口コミで友人を勧誘し、引っかかる若者が増えたとのこと。
もちろん、若者たちは「自分たちが借金を返す必要はまったくない」と説明されていて、それを信じていたので、ただ単に最初の報酬(たとえば5万円)ぶんだけ儲かるアルバイト、と信じていたわけです。
NHKのニュースでは、これに引っかかった若者のことを、終始「被害者」と呼んでおり、弁護団が「その若者たちは被害者だからという理由で、消費者金融側に金利の引き下げなどを求めている」といった趣旨の説明もありました。
私は、今回のニュースが十分に社会的に意義がある報道であったことを評価しています。そのうえで、さらにもう少し改善してもらいたいことがありましたので、ここに書きます。
この報道には、もし本当にこういった犯罪を防止したいのであれば、絶対に説明しておくべきことが抜けていました(それがわかっていても、そういった説明をしにくい事情は十分に斟酌できますので、やや無理なお願いをしていることも十分に承知しています)。
自分では一切借金の返済をしないつもりで消費者金融のカードをつくって、それを他人に渡してしまうのは、立派な犯罪だという点です。
もし本当に、他人が借金をして、その他人が返済もするのだとして、その際に自分のカードを使わせるのは、消費者金融の審査をごまかす行為に手を貸しているわけで、何らかの試験を替え玉となって受験するようなものです。替え玉受験なら、誰かの代わりに受験した人こそが犯罪者として報じられます(つい最近もありましたね)。
厳しい言い方をすれば、引っかかった若者は「加害者(共犯者)になり損なった被害者」です。
批判を覚悟でこのように書くのは、こういった報道では、この点を強調しないと、つぎの被害を防ぎにくいことが明らかだからです。
あとに述べるように、引っかかった若者を救うためにも、そして、別の若者が引っかかるのを防ぐためにも、「加害者(共犯者)になり損なった被害者」という認識は大切だと考えられます。誤解しないでいただきたいのですが、「加害者(共犯者)だから救わなくていい」などと主張するつもりは決してないのです。
だって、大人の男性から5万円をもらって援助交際をする少女に、援助交際をやめさせようとするときには、少女のほうにも「それは悪いことだから、やめなさい!」と言いますよね。それと同じようなものです。
以上の論理からすれば、消費者金融に対して「若者は被害者だから金利を下げてくれ」と要求するのは、明らかにまちがいです(あとに述べるように、要求していることではなく、根拠にまちがいがあると考えられます)。
消費者金融側にも問題がある可能性がありますから、その点を理由に、返済を軽減する交渉をすべきだとは思いますし、実際に、弁護団はそういった交渉をしているのかもしれません。
私がおかしいと感じたのは、ニュースが「若者は被害者だから」という論理だけを紹介した点です(これも仕方がないことはわかっているのですが)。
自分では借金をしないつもりで、つくったカードは他人に渡すつもりで、消費者金融の審査を受けてカードをつくるのは、明らかに「審査をごまかす意図があった」と考えるべき行為です。
私も、感情的には消費者金融は好きではないので(私が金融機関全般を敵に回して批判していることは、拙著などをお読みいただければ明らかだと思いますが)、消費者金融側の肩を持ちたくはないのですが、論理的には、今朝のニュースでの解説が最初の段階でのつぎの構図に触れていないのは、バランスを欠いています。
最初(カードをつくって、それを他人に渡して、その他人が借金をするまで)の段階では、「被害者」は消費者金融のほうで、若者は加害者側の「共犯」です。
だから、本当は信用度の低い人間が借りていた借金なのに、それより信用度が高い若者が借りることを前提にした金利になっていたとすれば、消費者金融側が「より危ない借金だとわかったから、より高い金利を適用したい」と要求するとしても、それは理にかなったことです。
ただし、論理的には上記のことが正しいとしても、感情的に納得できないとの気持ちはよくわかります。また、結果として、引っかかった若者は損失を被り、被害者になっています。私が「加害者になり損なった被害者」と表現したのは、こういった理由からです。
でも、引っかかって結果的に被害者になった若者を本当に救いたいのなら、まず正しい事実認識をしたうえで、説得力のある救済の論理を考えるべきです。それが弁護や報道の専門家の力量ではないかと……
私が、弁護側や報道側の人間として、引っかかった若者を救いたいのなら、まったく別の論理を強調するでしょう。
他人に頼まれて安易にカードをつくって他人に渡すという行為は、かなり前から蔓延しています。その結果として、安易につくった人が自分では借りていない借金を負わされるというのも、お決まりのパターンです。
しかも、審査の際に消費者金融側がそれに薄々気がついているときでも、きっと、消費者金融側はカードをつくってしまうのではないかと想像できます。無理をしてでも貸出を伸ばしたいからです。その辺りは、きちんと取材すれば、いくらでも証拠が出てきたと思われます。
今朝のニュースでは、こういった犯罪が拡がる原因をいくつか説明していて、すごくわかりやすかったのですが、あとひとつ、「消費者金融側にも原因(問題)があった」のでなければ、これほど拡がったりしないという視点が、残念ながら欠けていました。
たとえば、「他人にカードを渡すと犯罪になるから、それで自分が借りていない借金を返せと言われても、誰も助けてくれないよ」といったことを、カードをつくる段階で消費者金融側がきちんと説明しておくべきだったのに、それが不十分だった可能性はかなり高い。
この点を指摘して、引っかかった若者の返済義務を軽減する交渉はすべきでしょう。
また、被害者としての消費者金融側を完全に救済してしまう(カードをつくった本人に全額返済の義務を負わせる)と、消費者金融側にはこういった犯罪を防ぐインセンティブ(誘因)が働かないという点は、重要な問題点です。
だから、犯罪防止の観点から、こういったケースでは、消費者金融側にも一定の負担をしてもらい(そのぶん、引っかかった若者の返済を軽減してもらい)、それによって、消費者金融側にもこの犯罪を未然に防ぐ努力をしてもらうという、制度的なしくみが必要だという話なら、私も納得できます。
結局、感情的には嫌なことでも、「引っかかった若者も犯罪者(共犯)」で「被害者は消費者金融」という前提をきちんと認識して、そのうえで、立場上は「若者=弱者」で「消費者金融=強者」なのだから、何とか若者のほうを救ってあげたいという話をすべきなのです。
そして、その覚悟がない報道は、むしろ犯罪を助長する危険性があります。援助交際で5万円をもらえば非難されるけど、消費者金融の審査でウソをついてカードをつくって5万円をもらっても、犯罪の加害者とは言われず、むしろ、それで少しでも被害があれば同情される、というメッセージとして受け取る若者も、残念ながら、少なからずいるでしょうから。
本気でこの手の犯罪を防止したいのなら、もっと覚悟をもって、事実認識は論理的にすべきです。
多くの経済学者が好む表現として、偉大な経済学者であるアルフレッド・マーシャルのつぎの言葉があります。
「冷静な頭脳と温かい心(cool head, warm heart)」
今回のような問題では、まさに、「冷たいと非難されそうなぐらい冷静な論理」をきちんと示したうえで、「温かい心」で解決を考えるという姿勢が求められます。
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