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2015年10月 3日 (土)

プラザ合意30周年とFRBの利上げ

 1985年9月22日にニューヨークのプラザホテルで開催されたG5、先進五カ国蔵相・中央銀行総裁会議でドル高是正のための協調介入の合意、いわゆるプラザ合意が発表されてから、今年で30周年です。G5とは、アメリカ、イギリス、フランス、当時の西ドイツ、日本の五カ国。日本の参加者は、竹下登大蔵大臣、澄田智日本銀行総裁でした。

 プラザ合意のあと、1ドル=250円前後だった円相場が円高に進み、2年後の1987年にはルーブル合意がおこなわれ、さらに円高になりましたが、翌月、1987年10月19日には、当時としては史上最大規模の世界的な株価暴落が起きて、ブラックマンデーと呼ばれました。FRBの金融政策運営がゴタゴタして、8月には、ポール・ボルカー議長が政策運営についてのクーデターによって辞職し、アラン・グリーンスパン議長に交替していたことがあり、マーケットから信頼を得ていないところへ、西ドイツとアメリカの政策協調に疑念が生じていたこともありました。

 ボルカーは、1970年代からアメリカ経済が抱えていた深刻なインフレに対し、人々のインフレ予想を叩き潰す高金利政策の徹底(ルールに基づく通貨量の変更)で対処し、成功した凄腕の中央銀行総裁でしたが、ボルカーの金融引締政策と当時のレーガン大統領の財政拡大政策の副作用としてのアメリカの高金利がブラジルやアルゼンチンなどの累積債務問題を深刻化させたこともあり、周囲の批判も強いという状況でした。

 グリーンスパンは、その後、株式市場などの金融市場参加者から、神様のようにあがめられることになるのですが、そんな人でも、デビュー直後はルーキーとしての洗礼を浴びたということでしょう。

 ただ、その後の調査報告によれば、ブラックマンデーの数年前から流行していたポートフォリオインシュアランスと呼ばれる資産運用手法が、暴落の根本原因だったと指摘されています。オプション取引のヘッジをオプション自体の取引の代わりにおこなうやり方で、株価が下がれば、それに応じて少しずつ株を売っていくことで、オプションを保有しているのと同じ効果を狙うものです。コンピュータープログラムでこの手法を採用して巨額の資金を動かすファンドが当時広まっていて、そうしたファンドが、株価下落時に一斉に売却の注文をプログラムによって自動で出し、その結果、ますます株価が下落し、さらに売却指示につながり、下落が加速して……という悪循環に陥りました。ポジティブ・フィードバックと呼ばれる現象です。

 情報技術に裏付けられた金融技術の進歩が、株式市場の大暴落につながったのでした。また、政策協調の失敗も重要なポイントでした。

 日本の株価は、日経平均株価が1989年12月に史上最高値をつけて、バブル経済のピークを迎えましたが、当時の三重野康日本銀行総裁の徹底したバブル潰しによって、株価は暴落し、日本の景気は急激に冷え込みました。バブル経済の時期には、ふつうのサラリーマン世帯が都心部に家を持つことがまったく望めなかったこともあり、三重野総裁の政策はマスメディアからも支持されていました。

 しかし、金融引締政策が長く続いた結果、日本の景気回復はその後大幅に遅れました。この1992年から2002年までの期間を、一般的に、失われた十年と呼びます。

 ヨーロッパのうち、フランスとドイツを中心とした国々は、1999年1月から共通通貨ユーロを導入し、当初は電子通貨として流通させました。そして、2001年9月からはユーロ紙幣の流通が始まりました。2002年にはギリシャがユーロ圏に入ることを認められて、ユーロを導入しました。ただし、実際にはギリシャは基準を満たしていなかったのに、粉飾決算をして加わったことが、あとから判明して問題となりました。ユーロによる通貨統合は、経済学者ロバート・マンデルの最適通貨圏の理論を基礎にしていますが、生産要素である労働・資本が圏内を自由に移動できることなどが、最適通貨圏の必要条件となります。ユーロ圏は、実際には最適通貨圏の条件を満たしておらず、失敗は不可避だったと言えます。

 他方で、1999年から日本銀行が政策金利をほぼゼロにするゼロ金利政策を導入し、2000年に一時解除したものの、2001年にはゼロ金利に復帰しました。この経験が、その後、日本銀行が不況の元凶であるとの指摘を受けるきっかけとなります。ゼロ金利政策の解除が、日本の不況を決定的にしたとの批判が強まり、第二次安倍政権がインフレ目標を採用して景気刺激をしようとする日本銀行総裁・副総裁を登用する伏線となりました。

 アメリカでは、金融技術の進歩が新たな市場を作り出していました。先物・スワップ・オプション取引などのデリバティブ取引が発展し、それらを組み込んで複雑化した資産運用商品が次々と登場しただけでなく、金融の素人にはまったく理解できないような資産運用商品が生み出せるようになっていました。さらに、証券化の手法を使って、危険性が高い資産運用商品の中から相対的にリスクが低い部分だけを抽出するやり方が進歩し、その行き過ぎがいわゆるサブ・プライム・ローン問題を引き起こしました。

 2008年9月には、アメリカの大手投資銀行だったリーマン・ブラザーズが経営破綻し、リーマン・ショックと呼ばれました。この時期には、日本でも、アメリカの投資銀行や日本の大手金融機関(メガバンクや大手証券会社など)に騙された人たちが、騙されて(きちんとリスクなどの説明を受けずに投資をして)ただハイリスクだった資産運用商品によって巨額損失を被っています。最大手証券会社である野村證券が全国で売りまくっていた資産運用商品は、証券化を組み込んではいますが、一流企業の株式を10社とか20社とか合わせて証券化したもので、その中でリスクが一番高い部分を顧客(結果として巨額損失を被った投資家)に販売していました。証券化の使い方としては本末転倒も甚だしいと言えます。また、アメリカの国債が30年満期であるのに合わせて、運用期間を最長30年にしたユーロ円債を、債券の格付が高い北欧の政府系金融機関が発行したパターンも流行しました。メガバンクはふつう、グループの証券会社を紹介してユーロ円債を売り込みましたが、三井住友銀行は、30年満期のアメリカ国債を活用して、自ら同じ仕組みの指定金銭信託を作り出し、顧客に売り込みました。学校法人、医療法人、宗教法人、地方金融機関(地方銀行や信用金庫など)、地方自治体、地方自治体の外郭団体、個人富裕層などが、投資家として被害者となりました。こうしたデリバティブ組み込み型金融商品を一般向けに提供している新生銀行に取材に行ったとき、販売部門の責任者が、決して好意的でない私たちを追い出す直前に、「最後にひとつだけ言わせていただきたい。この商品は、いわゆるVIP顧客に向けて提供して好評をいただいているものを、広く多くの皆様に提供しようと工夫したものだから、批判されるような商品ではありません」と言い切りました。……現実には、VIP顧客に対してもやたらにハイリスクなボッタクリ商品を提供していたというだけです。

 こうした事情があって、リーマン・ショックのあと、日本では資産運用での巨額損失が相次いで表面化しました。有名大学の事例もあり、金融の研究・教育を売り物のひとつにしている大学が、巨額損失を隠蔽するために、専門家としては不適切な言い訳をしていたケースもありました。

 さて、大規模な金融緩和政策によってインフレ率を高め、景気刺激につなげるべきだと主張する人たちは、リフレ派と呼ばれました。2012年11月に、民主党の野田政権が衆議院を解散し、自民党が政権に復帰すると、リフレ派と結びついた第二次安倍政権の経済政策、いわゆるアベノミクスがブームとなり、日本銀行総裁には、麻生財務大臣の飲み友達でもあった黒田東彦氏が指名されました。

 2014年に、アメリカの中央銀行であるFRBの議長に、史上初めて、女性のジャネット・イエレン先生(ビル・クリントン大統領のときに大統領経済諮問委員会委員長を務めた経済学者)が就任しました。夫は、逆選択の理論でノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ先生です。イエレン議長には、リーマン・ショックのあとで景気を回復させるためにFRBがおこなってきた量的金融緩和政策(QE)を収束させる役割が求められています。

 FRBが政策金利を引き上げるチャンスはこれまでもあったと思われますが、それを見送り、いよいよ利上げかと注目された2015年9月のFOMC(金融政策について議論する会議)でも利上げは見送られました。アメリカがいま利上げすると、発展途上国の経済に悪影響を与えるとの懸念が、8月のG20の際に指摘されていて、それに配慮したのかもしれません。

 しかし、FRBが利上げを見送った直後から、世界の株式市場で不透明感が強まり、株価が連鎖的に下落してしまいました。いまさら結果論を述べても仕方がないことですが、FRBは9月に利上げしておくべきだったと思わずにいられません。これで、12月に利上げとなったとの見方が出ていますが、9月と12月は記者会見が準備されているから、重大な政策変更がやりやすいというだけで、必要があれば記者会見はおこなうと、イエレン議長はおっしゃっていたはずなので、10月に利上げを決断していただきたいと願っています。

 プラザ合意がおこなわれた1985年9月から現在まで、日米欧の政策協調と、アメリカの金融政策(国際通貨である米ドルの金利)がブラジルやアルゼンチンなどの累積債務を抱える発展途上国経済にどんなダメージを与えるかが、重要なテーマになっています。また、金融技術と情報技術の進歩がショックの規模を大きくさせる原動力になっています。このあたりの「歴史は繰り返す」という性質は、やはり普遍的なものだと感じます。

 だからこそ、断固として金融引締政策に転じる姿勢を見せつけ、今後の金融政策運営の余地を広げておくことが、イエレン議長に期待されている役割で、今年の内には利上げをおこなうべきだと考えられます。そうであれば、世界中の株式市場のためにも、10月に利上げしてガス抜きをしておくべきでしょう。

 10月に利上げをしないと、12月に利上げをするしかなくなり、ラストチャンスとなってしまいます。そして、12月が利上げのラストチャンスと限定されてしまうと、金融市場参加者が利上げを見透かして対応するため、政策効果が大幅に小さくなってしまう可能性があり、それを避けたければ、予想されないタイミングで利上げすべきです。12月まで待って利上げするよりも、そう信じる人たちが多いことの裏をかいて、10月に利上げするほうが望ましいというのが、私の意見です。果たして、イエレン議長が率いるFRBは、どう判断するでしょうか? 興味深い話です。

 アメリカの労働省が10月2日に発表した9月の雇用統計は、非農業部門の雇用者増が14万2000人で、7月と8月の雇用者増も下方修正され、失業率は横ばいの5.1%と、この7年で最低の水準を保ちました。CNNは「10月利上げの可能性は遠のくか」と伝えています。

 ただ、現在のような難局面で、アメリカの金融政策を運営しているFRBの議長が、他ならぬイエレン先生であることについて、私は本当に良かったと感じています。何と言っても一流の経済学者であり、セントラルバンカーとしての仕事をこなしているときにも、現場の声にとにかく耳を傾ける姿勢でよく知られていて、仕事熱心なことで評価が高かった女性で、世界経済は最高のセントラルバンカーに託されていると言っていいでしょう。

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